コトバ探求

毎日使う日本語が、あなたと誰かを繋いでる。 ほんのちょっとだけ丁寧に、言葉を選んで話しましょ?

「胸に刺さる」「爪痕を残す」傷付ける表現が肯定的になっていく?

「感動する」という意味での「胸に(心に)刺さる」が新語として認められてからしばらく経ちました(2015年のことだそうです)。

ほんらいなら「胸を打つ」とか「胸に響く」といった表現が適切な場面なのですが、今では「刺さる」という表現も認められています。

 

言葉は移ろうものですから、変化自体は歓迎するべきものです。しかしこの変化で気になることが一つあります。

痛みの表現がポジティブな意味に変換される法則がある気がしませんか?

同じように痛みの表現がポジティブな表現に変わったものを探してみましょう。

 

 

「胸に刺さる」は「言葉で心が傷つく」の意味だった

2010年代以前には、「胸に刺さる」という表現は「(特に言葉によって)心理的に深く傷つく」ことを意味していました。

しかし弓子はうつむいて、その言葉が棘のように胸に刺さるのを感じた。(遠藤周作『協奏曲』より)

そうでなければ未紀のことばは吹針のようにぼくの胸に刺さってぼくをたおしていただろう。(倉橋由美子『聖少女』)

いずれも「言葉」を「棘や針」に直喩して「刺さる」という動詞につなげています。この一連の表現はセットのようなもので、「言葉の棘が胸に刺さる」という一連の流れが表現として受け入れられていました。

古くは「胸に釘打つ(釘刺す)」という表現があり、大鏡などにその用例を見ることができます。

チクチク言葉

今日でも「刺さる」を「傷付ける」の意味で用いた表現として、「チクチク言葉」があります。

教育現場では級友を傷付ける暴言を「チクチク言葉」と呼んで児童の指導にあたるそうです。これは棘のある表現が相手に「刺さる」あるいは相手を「傷付ける」可能性があることを伝えて、言葉に気遣いを促す指導という点で、伝統的な「刺さる」の用法から生まれていることがわかりますね。

「感動する」意味の「刺さる」へ

しかし現代の言葉としては、すでに「心に深く届き、感動すること」の意味で「刺さる」と表現することが主流になりました。

テレビ番組のタイトルとしても使われており、2021年には「この歌詞が刺さった!グッとフレーズ」というTBSの番組が開始されています。2015年に新語として認められてからものの6年で主流の意味が変化してしまうのは異例の速度と言っていいかもしれません。

 

胸の痛みがときめきに変わる:胸キュン

少し話は逸れますが、「キュンです」という指をクロスして小さなハートを作るポーズが韓流アイドルグループから発信され、それなりの一般認知度を得ています。この「キュンです」の元となったのは当然「胸がキュンとする」という表現です。この場合の「キュン」はどのような意味で用いられているのでしょうか。

「キュン」はほとんど「ときめく」「わくわく」「喜び」と同じ意味で用いられているように感じます。非常に開放的な感情表現で、「胸が躍る」とか「胸が高鳴る」に近い印象を覚えます。

胸がキュンとするのは切ない恋だった

しかし少しだけ遡れば、「キュン」には「切なさ」「締め付け」の要素が含まれています。たとえば1987年の「時のカフェテラス」阿刀田高には次のような用例があります。

もう会えなくなったんだ、だれか男がいるんだ、それを考えると真実胸がキュンと痛んだ。

しかし時代と共に「たまらなく愛おしい」とか「ときめく」といった意味で用いられるようになります。たとえばライトノベルに分類される「文学少女シリーズ」野村美月(2012年)では

……その文面がそりゃもう初々しくて、胸がキュンとしてしまうのよ。それにねっ、それにねっ、登場シーンもキュートで可愛いのっ。

というように、可愛らしい対象に庇護欲を惹起されて生じた「愛おしさ」に対して「キュン」が用いられています。

やがて「強く感動して瞬間的に胸が締め付けられるように感じるさま(広辞苑「きゅん」)」であった「キュン」から「胸が締め付けられる」ニュアンスがなくなり、現在の「キュンです」へと繋がっていったのでしょう。

「胸のかすかな痛み」はより日常的でポジティブな感情へとシフトしていったのです。

 

爪痕を残す

特に若手のお笑い芸人がテレビ番組などに初登場した際、なんらかの形で番組に貢献したり、笑いを起こした際「爪痕を残した」と表現することがあります。この用法が一般化し、「結果を出す」「成果を残す」といった意味で「爪痕を残す」を用いることが増えてきているようです。

災害の爪痕が本来の表現

直接的に「爪の痕」「引っ掻き傷」を意味する場合を除けば、「爪痕を残す」は「台風の爪痕が残されている」など、災害・戦争によるひどい損壊が残っていることを意味する表現でした。

これを行動目的とすれば、「爪痕を残そうとする」という表現が生まれます。この段階では原義は残されており、「生きた証・存在した(災害級の、後世の人間が見てもそうとわかるほどの)痕跡を歴史・都市などに刻もうとする」という用法が可能になります。実際この用法で「爪痕を残そうとする」用例を見つけることができます。

……バケネズミの意図は、一人でも多くの人間を殺すことだろうと考えていた。全滅させられるのは端から覚悟の上で、少しでも大きな爪痕を残したいという思い、窮鼠猫を噛む意地で戦いを起こしたのだろうと。(貴志祐介『新世界より』)

この時点では「相手を傷付けること」が「存在した証」となるため、本来の「爪痕を残す」と意味は大きくは乖離していません。しかしこの用法において、「痕跡を残そうとする意図」が加えられていることは重要です。

ほんらい異性に刻みつける意図があった

もちろんこの用法が降って湧いたわけでもありません。人間間で残される爪痕は、そこに激しい男女関係があった証であったり、あるいは治りにくい古傷として残るものでもありました。

たとえば男性にパートナーがいることを示すために噛み跡をつけたり、爪痕をつけるというのが、独占欲の形としてあり得ました。また一度恋仲になった女性の心に爪痕をつけるといえば、一生心の隅で疼くような後ろめたさや後悔を与えて、(また復讐心から女性が“傷物”であることを体に刻みつけて)人生に影響を及ぼそうとすることを意味します。

こうした用法を前提とすれば、「爪痕を残す」が「記憶に残る」とか「存在した証を残す」という意味に転じたことも頷けます。

番組史に爪痕を残す

歴史や都市といった大規模なものではなく、個人の人生を相手取って「爪痕を残す」ことができるのであれば、「番組史に爪痕を残す」ことも当然できるでしょう。その場合には、たとえば大きな笑いをとった結果、番組でお決まりのやりとりが生まれたり、コーナーが生まれるなどの結果として現れます。

「爪痕を残す」がポジティブな意味で用いられるのは、こうした連続性の中で正当化されます。おそらくは、慣れない舞台でがむしゃらに暴れようとする若手芸人のスタンスと、人々の記憶に刻むという意味での「爪痕を残す」がいい具合に噛み合って、この表現が一般化したのでしょう。

とはいえ、「刺さる」や「キュン」に比べると一般認知度の低い表現なのは事実です。使う際にはこうした背景を前提に、自分の立場をうまく盛り込んだ比喩表現として用いるようにしたいところですね。

 

まとめ

今日は思いつくままに「傷付ける表現がポジティブに解釈される新語」をいくつか紹介しました。

他にも「すごい」とか「えぐい」もこれと同種なのではないでしょうか。言葉には緩やかに攻撃的なニュアンスが剥がれ落ち、やがてポジティブでシンプルな意味へと用法が変化する流れがあるようです。

この流れを前提に、次の意味変化を想像してみるのも面白そうですね。それこそ忠告の意味で「釘を刺す」なんて、そのうち胸を打つ言葉を投げかけるという意味にかわるかもしれませんよ。