「煮詰まる」と「行き詰まる」
今日友人と話していたところ、彼が言いました。
「もう勉強も煮詰まってきちゃって、いやぁ、キツくなってきました。」
…ん?違いますよね?
思わず話を止めたところで、私は辞書を引きました。
というわけで、今日は「煮詰まる」と「行き詰まる」のお話です。
「煮詰まる」も「行き詰まる」も、元は単純な状況・動作を表す言葉です。
「煮詰まる」は、
長時間煮た結果、水気がなくなること。
「行き詰まる」は、
道がなくなって先へ進めなくなること。
どちらとも、あまり良い意味ではないような予感がしますね。
しかし、これを比喩として用いる時、少しだけニュアンスが変わってしまいます。
しばしばこの比喩が用いられるのは、「議論」や「企画」について言うときです。
「議論が煮詰まった。」
「議論が行き詰まった。」
想像してみましょう。まずは「煮詰まる」から。
あなたは議論をしています。何かイベントの具体的な計画について、良案はないかと頭をひねっているわけです。
「煮詰まる」という比喩において、議論という作業は、「火をかけること」にあたります。議論の内容は、おそらく鍋いっぱいに入っているスープなのでしょう。
スープは、加熱すればするだけ、蒸発して減ってしまいます。
議題も、議論をすればするだけ、解決して減っていくはずです。
そうやって到達した、スープがない状態。「議論が煮詰まった状態」とは、どういう状態でしょうか?
「あらゆる議題が捌けてしまって、もう問題が残されていない状態」を意味しますよね?
今度は「行き詰まる」の比喩を検討してみましょう。
この比喩では、議論という作業は「歩行すること」に例えられています。議論は目的地(ゴール)を持った一つの経路で、絶え間なく進むことにこそ意味があります。
歩けば歩くだけ、前に進みます。
議論するだけ、話がまとまります。
そうやっていると、突然、行き止まりに直面します。「議論が行き詰まった」状態です。
これならはっきり分かりますね。
「いくら議論をしても、話がまとまらない場所に来てしまった」という意味になります。
よく似た表現で、よくある誤用なのですが、その言葉が持っているイメージをしっかりつかんでおけば、間違うことはまずありません。
二つの表現に関する疑問が、すっかり煮詰まってしまったところで、今日のところはお開きにしましょう。
それではまた。