コトバ探求

毎日使う日本語が、あなたと誰かを繋いでる。 ほんのちょっとだけ丁寧に、言葉を選んで話しましょ?

根性があっても性根が腐ることはできるんですか?

あーごめんなさいごめんなさい、わたし、ひねくれてるんです。性根が腐ってるんです。

でも辛抱強いんですよ。辛いことでも人よりよっぽど長く続けられます。根性はあるんです。

 

性根が曲がってても根性はある。

そんなことあっていいんでしょうか?

 

今日は仏教に由来する「性根」と「根性」のお話です。

 

 

根性は仏教用語

調べてみるまで知らなかったのですが、「根性」は仏教用語だったそうです。

そもそも人間の性質を表す言葉として「根」の字を当てたのがサンスクリット語の中国語訳が起こりとのことでした。元を辿ればインドリヤ(indriya,𑖂)というサンスクリット文字に至ります。

仏教用語で「根」とは、感覚器のことを指す用語でした。たとえば「耳根(にこん)」や「鼻根(びこん)」という表現があって、いわゆる五感のことも「五根」と言ったり、それに「意根(いこん)」を加えて「六根」と言ったりするそうです。

 

それら「根」の性質を意味するのが「根性」です。

仏教用語ですから、根性の良し悪しは悟りに至る性質の有無で決まります。逆に言えば「根性」は誰にでもありますが、「いい根性」は誰にでもあるものではありません。

 

性根は「性の根」

当然「性根」の「根」も仏教用語ということになります。

しかしこちらは「性の根」つまり「気性や態度、性分の根源」を指す言葉として用いられてきました。

言い換えれば、いいかげんな態度をとっていても、「性根が腐っている」とは限りません。その態度の原因をその人の心構えに求めるなら、たしかに「性根が腐っている」と表現できます。しかし同じ状況でも周囲の環境があまりに理不尽だったり、報酬が用意されていなかったりするなら、性根はかえって良い可能性があるからです。

なお性根は「心根(こころね、しんこん)」を類語にもち、その心根は「心底(しんてい)」を類語に持ちます。もちろん「根性」も類語に含まれているので、これらの言葉はグラデーション状に連なっていて、明確な意味の境界を定めるのが難しいと理解するのが良さそうです。

グラデーションでも赤と青が違うことはわかるように、なんとなく「根性」と言った方がいい範囲と「性根」と言った方がいい範囲があります。また「心底」と言った方がいい範囲には全く「根性」と呼べそうなものはないというような関係にあります。しかしその間には紫のような中間的な領域があって、意味の境界を曖昧にしているのです。

 

根性はどのように根気強いの意味を得たのか

したがって「根性」には本来「根気強さ」「辛抱強さ」の意味はありませんでした。

どちらかといえば「野次馬根性」とか「盗人根性」といった使われ方をしていて、特に仏教的価値観において悪い根性を持っている場合にそれを揶揄して用いられる方が普通だったのです。

しかし昭和後期において、そうした「悪い根性を叩き直す」というストーリーが流布し、「根性」の文字が充てられた作品群が登場します。

 

「スポ根」です。

 

「悪い根性」を叩き直した結果得られるのが「良い(本来の)根性」であるとされた結果、そこで描写されている最大の能力こそ「根性」に違いないと人々は考えるようになりました。それら作品群で美徳とされた「根性」は、明らかに理不尽な指導やトレーニングを耐え抜く力であり、絶え間ない努力と諦めない精神力でした。

こうして「根性」は物事を耐え抜く精神力の意味で用いられるようになり、今日に至っています。

 

まとめ

根性は誰にでもあります。元は仏教で五根(五感に対応した感覚器)や六根(五根に意根を加えたもの)の性質を指す言葉で、「根性」自体に良し悪しのニュアンスはありませんでした。

一方「性根」も同源の言葉であって、同じ意味で用いられることもあります。しかし根性とは異なり「態度の原因としての心構え」の意味でも用いられています。

「根性」が今日の「辛抱強さ」の意味を得たのは比較的新しく、特に「スポ根」アニメの影響が強いと考えられているそうです。それ以前の用法として「野次馬根性」のような表現があることも押さえておきましょう。

 

よくわかりました。今度から根性を要求する人には、「感覚器の話してます?」と言うことにしましょうかね。

……あっ、やっぱり性根が腐ってました??