「来た甲斐があった」とはよく言います。
でも「甲斐」っていったいなんなのでしょう?
甲斐、甲斐国……武田信玄……?
そう考えてみれば、「甲斐甲斐しい」「甲斐性」「不甲斐ない」なんて言葉もありますね。
えっ、不甲斐ない!? 「There is no Not甲斐」ってことですよね? じゃあ「甲斐」はあるの!?
……こんな複雑極まる表現、成り立ちを知らないままでは使えません。
いったい「甲斐」ってなんなのでしょうか?
甲斐は国の名前
まず辞書で甲斐を調べると、国の名前としか出てきません。
現在の山梨のあたりにあった甲斐国のことです。武田信玄で有名ですが、平安時代から文献にその名が登場する歴史ある名称です。
その由来は長年「峡」の古い読み「カヒ」からきたとの通説が信じられていましたが、これは間違いのようです。発生が古いため確たる起源は定かではありませんが、あの世とこの世の境界、「交い」の国と言われたのが起こりではないかと指摘されています。
たしかに古くは山岳には霊力があるとの信仰もあり、都から遠く離れた山林に畏怖に近い感情を抱いていたのかもしれませんね。
しかしこの甲斐と「甲斐がある」「甲斐甲斐しい」「甲斐性」「不甲斐ない」の「甲斐」とは関係がなさそうです。
「甲斐がある」:甲斐は「替ふ」の当て字
それもそのはず、「甲斐がある」の甲斐は当て字です。
つまりひらがなで「かいがある」と書くほうが、表現に適しているということですね。
「かい」とは「替ふ」という古語の転で、ここでは「対価」の意味で用いられています。
したがって「来たかいがあった」は「来ただけの値打ちがある」とか「来たのに見合う対価があった」という意味になります。
現代の表現として、「行動にそれに見合う対価があること」を「ペイする」と言ったりしますが、これとほとんど同じ意味の表現と言えます。というのも「替ふ」は「買う」の語源でもあり、まさに「ペイする(支払う)」こととも地続きの表現なのです。
「不甲斐ない」:言う甲斐なしの転
これと同じ解釈で理解しやすいのは「不甲斐ない」の「甲斐」です。
もとは「いふ甲斐なし」から来ていて、「言っても無駄な」とか「言うに値しない」という意味でした。ここから「い」の音が抜け落ちると「ふ甲斐なし」となり、現在の「ふがいない」に繋がります。
つまりこれもすべて当て字であって、謎の二重否定語は当て字で作られたもののようです。
他の当て字として「腑甲斐ない」というものもあります。こちらは「腑抜け」なんかのニュアンスを足す形になっていると考えられます。
甲斐甲斐しいの歴史は古い
語源の話をすれば、「甲斐甲斐しい」も「甲斐性」も同じく「替ふ」の転と考えられます。しかし直接的に「値打ちがある感じで」とか「値打ちがある性質」を意味してはいません。
現代語の「甲斐甲斐しい」は
①かいのあるさまである。思い通りのさまである。
②有能である。頼りがいがある。
③骨身をおしまず、てきぱきしている。
———広辞苑第7版より
を指す言葉です。
……甲斐甲斐しいの説明で2回も「かい」を使うのはどうにかならないんでしょうか。
一方の「甲斐性」は「かいがいしい性質」とのことですから、まったく同根の表現です。
ことの始まりを知るのに適している古い用例として、「かひがひし」という古語に「張り合いがある」の用法があります(源氏物語)。この用法なら「値打ちがある」とそう遠いニュアンスではありません。
おそらくはこのように「他者の行動・報酬に報いるように動くこと」が、結果として「有能」とか「頼りがいがある」とか「てきぱきした」性質に派生したのでしょう。
余談:責任と応答能力
この話を整理していて、「responsibility(責任)」という英語の成り立ちを思い出しました。
respondeo(返答する、反応する)を語源としていて、責任とは「respondeo(反応)+able(できる)」能力のことだと説明されます。
日本語にも「責任感がある」という言葉が派生しましたが、「責任感がある」人に「頼りがいがある(=甲斐性がある)」と感じる人は多いのではないでしょうか。
ここには「他者の行動・報酬に報いるように動くこと」と「常に応答能力をもつこと」という共通の観念が横たわっているようにも感じます。人の求めに常に応じられるということが、日本人にとって非常に大きな美徳であったのかもしれません。
まとめ
それはさておき、「甲斐」は「替ふ」への当て字で、「値打ちがある」「対価に値する」という意味を持ちました。
「有能であるさま」や「てきぱきしているさま」を指す「甲斐甲斐しい」という表現も古くから用いられており、この表現には長い歴史があることがわかります。
うーん……わたしも少しは「かいがいしい人」になれるといいんですけど……。