「みなさん、なるだけ離れないようについてきてください」
久しぶりにきましたね、ストップです。
案内の人は進んでしまいますけど、わたしは気になったことを調べないと我慢できません。
わたしだったら、「なるだけ離れないように」とは言いません。
「なる『た』け離れないように」と言います。
さて、どちらが正しいのでしょうか?
今日も今日とて結論から。
正しい日本語は「なるたけ」です。しかし「なるだけ」も誤用と排除はできません。
今日はこの機会に、いろんな「たけ」を調べてみました。
「なるだけ」は間違い?
さっそく辞書を引いてみましょう。
なんとびっくり、「なるたけ」は掲載されていますが「なるだけ」は異読としてさえも掲載されていません。
つまり「なるだけ」は間違いということになります。
しかしそうとも言い切れません。
というのも、「我慢ならない」とか「のっぴきならない」「なるべく」など「なる」には「できる」の意味があります。そのため動詞「なる」+副助詞「だけ」で「なるだけ」と言っても間違いではないからです。
したがって、慣用句の副詞としては「なるたけ」が正しく、動詞+副助詞として「なるだけ」も解釈可能という結論になります。
なるたけの「たけ」は丈
さて「なるたけ」も「なるだけ」も、「なる」の方は「できる」の意味で共通しています。
しかし「たけ」と「だけ」は異なるものです。
「だけ」は副助詞でしたが、「たけ」は名詞「丈」を由来としています。
つまり「背丈」や「身の丈」と同じ作りになっているわけです。
しかし「背丈」や「身の丈」は測れますが、「なるたけ」は測れません。
意味・用法としては二つの「たけ」が存在しています。
- 実際のものの長さを示す「たけ」:背丈・身の丈
- 概念や行動の限界範囲を示す「たけ」:なるたけ
「たけ」を使った他の表現
こうなると気になるのが、「なるたけ」以外に後者の「たけ」が存在するのかということです。
そこで「たけ」を使った表現を集めてみました。
- 首ったけ
- 思いのたけ
- ありったけ
- 居丈高
さて、分類してみましょう。
首ったけ
首ったけは「首の深さまで深く沈み込むこと」を「恋愛にのめり込むこと」の比喩とした表現です。
まさに現代の「沼にはまる」と同じ感覚を由来とした表現で、古今人々の営みは変わっていないのを感じますね。
さて「たけ」の分類としては「首のところまで」を意味することから、①実際のものの長さに分類されます。
思いのたけ
「思いのたけを打ち明けた」という表現でよく目にする言葉です。別の表現で「心のたけ」とも表現することがあります。
いずれにしても、「思い」や「心」は実測できないものです。こちらは意味としては②概念や行動の限界範囲を示す「たけ」ということになるでしょう。
ありったけ
難しいのが「ありったけ」です。ものの存在量の上限を指す言葉ですから、測れなくはありません。しかしその言葉の意味は「ある分」より「ある限り」と解釈したほうが適切ではないでしょうか。
ここでは②概念や行動の限界範囲の方に分類しておきましょう。
ただし場面と用法によっては①実際のものの長さに分類できることもありそうです。
居丈高
居丈高(いたけだか)は二つの意味を持つ慣用句です。
一つ目の意味として、「座ったときの背が高いこと」を意味します。
そもそも「居丈」とは座ったときの背の高さを意味する言葉です。こちらは当然計測ができる長さなので、①実際のものの長さに分類される「たけ」です。
一方二つ目のより一般的な意味、「はげしく怒らせて、高圧的に」といった意味の方では、その怒りの「たけ」を測ることはできません。
しかしもし②概念や行動の限界範囲の「たけ」であるなら、それこそ「怒りのたけ」と表現するべきです。ここでは「居丈」が「高い」と表現しているので、「怒気の限り」と解釈することはできません。
なんとここにきて第三の「たけ」が登場します。
③威勢・勢いを意味する「たけ」です。
この用法は本当に珍しいので、他の用例を見つけたらここに帰ってきて補足することにしますね。
まとめ
「なるだけ」も「なるたけ」も日本語として解釈可能な表現です。慣用句としては「なるたけ」が正しくなりますが、通常の文法の範囲内で「なるだけ」とも表現できます。
「たけ」には複数の意味用法があり、慣用句によって異なる意味で用いられています。実際のものの長さを示すものか、限界範囲を示すものがほとんどですが、まれに勢いを意味する「たけ」も存在しています。
今日も発見のあるストップでした。
なるたけ気を払って日本語を使いたいものですね。